こんにちは、くまさん です。
時々、こんなこと考えています。
「ゆとり教育」は、まるで失敗政策のように言われていますが本当でしょうか。順位をつけない徒競走(徒「競走」の時点で言葉に矛盾がありますけど(笑) )がやり玉に上がりましたね。
でも、そもそもは「ゆとり教育」の本当の意味を現場が理解しないままに、「じゃあどうしたらよいんだ」ってマニュアル的なものを文科省に要請して、「例えば徒競走で順位をつけない」などという「やり方」だけが独り歩きした結果じゃないでしょうか。
真のゆとり教育は、個々の能力をそれぞれの方向に最大限に発揮できるとても良い教育であるはずなのですが、そのためには多様性ということも含めて、教育者側がまずそれを理解しなくてはならなかったのです。「なぜ」やるのかもわからず「やり方」だけを求める現場。それには、教育にお金(=ヒト・物)をかけていず、現場の先生方が疲弊している現状が裏にはあるのだと思います。先生方にも研究と研鑽のためのゆとりがなくてはならないのに。
さらに裏を見るなら、あのような「効率の一軸で評価しない」ということは、大企業にお金をもたらすことを必ずしも目的としないことを知っている子どもが増えるということで、大企業優遇の政策にとってはマイナスですから、「ゆとり=効率が悪い=失敗政策」というプロパガンダも行われたかもしれませんね。
そういったことも含めて私達は気づく必要があるのだと思っています