「ごめんなさい、と言いたくない」
という人がいます。
「謝ると自分が悪いと認めることになる。自分が悪いと思っていないのなら絶対に言うべきではない」
「ここで謝っておけばこれ以上揉めずに済むだろうが、相手の要求に屈したことになるから言いたくない」
共感的コミュニケーション(NVC)をかじったことのある人だと、
「感情の責任はその人にある。相手が怒ったりこちらを非難したりしても、それはその人の中の問題であって自分の(きっかけかもしれないが)せいではないから謝罪の必要はない」
などと言うこともあります※。
※謝罪の必要はないかもしれませんがその代わりに、怒っている相手に共感する必要はあります。しかし、上記のようなことを言う人が相手にその場で共感しているのを、私は見たことがありません。多くは、「自分の身を守ること・安全が大事(ニーズ)」と言って、自分へのリクエスト(お願い)と称してその場を離れたり沈黙し、それを自らの「選択」であるとか緊急避難とか言いながら、その後その場へ戻ってくることもありません。緊急避難は自分に(自他へ)共感するスペースを与えるために行うことであり、コミュニケーション遮断(放棄)のためではないのです。
「日本人はすぐ『ごめんなさい(I’m sorry)』と言うので、海外でトラブルに巻き込まれやすい」と聞いたりすると、うかつに言えないと思うのも無理はないでしょうが、ここでは日本での日本語コミュニケーションにおいて、という前提で話します。
「ごめんなさい、と言いたくない。でも言えばその場が収まる」と思ったとき、その人は「ごめんなさい、を言えたら楽なのに」と思っていました。
「ごめんなさい」と言われれば相手の気持ちは鎮まる、とはわかっていたそうです。その相手はその人にとって大事な人なので、対立を深めることはしたくなかった。
気持ちとしては「ごめんなさい」と言いたい。でも「自分は間違っていない」のに「謝る」のは「自分を卑下する」ことになる。自分が自分を尊重してやらないでどうするんだ……!
(この項続く)