ちいさな子が泣いているとき、つい「だいじょうぶだよ〜(もうすぐママ来るよ〜等)」と言ってしまいませんか。
わたしは自分を戒めているにもかかわらず、口癖的につい言ってしまって、「ごめん! だいじょうぶじゃないよね(だから泣いてるんだね)」と付け加えることが多いです。
こどもに対して、まだ起こっていない未来(たとえその直後に起こるとしても)を理由に「なぐさめる」ことは、自分が泣いている子を前に安心したいから。
こっちの気持ちの押しつけをして、その行為をやめさせようとしていることにほかならない。
それで泣き止むとしたら、こどもにこちらの都合を忖度させたのかもしれない、こどもに泣くという表現をよくないことと思わせたかもしれない。
いずれにせよ、本人は泣きたくて泣いているのをとめようとするのは、この世界におまえは受け入れられていないと言うことと同義だという自覚のもとに、「だいじょうぶだよ」と習慣的に言ってしまうことを、これからも注意していこうと思う。
と、もう何年も思ってるのに、まだ言っちゃうんですよ……(泣)習慣て根強いよね、てのはあるにしても、それのせいにしないで、私の中でふつふつと煮えたぎる何かが「だいじょうぶ」にはあるのかも、と考えてみたい。
ともあれ共感的コミュニケーション(NVC)は「箒とちりとり(修復)」機能もあると信じているので、「ごめん! だいじょうぶじゃないよね。さびしいのかな? それとも……」と聞いていくことを、性懲りもなくやっていこうと思います。